会いたかったのに、会えなかったワケ
12月に入ってから、12月7〜15日まで神奈川に帰省をする予定でいた。
その時には、祖母が入院している病院か、叔母の家にいく予定だった。
祖母に会うのは久々のこと。
以前、神奈川にいた頃は、一緒に仕事をしていたこともあった。
祖母は働き者で自分のことを気にかけるよりも、他の人の事を優先している人だった。
洋服とか、靴とかも、お洒落をすることもなく、いつも同じようなものだった。
「新しいものを買ってみたどう?」と聞いても、「私は新しいものは好きじゃないから」と言っていた。
休みの日も出かけることなく、畑に出掛けて、野菜やみかんを作っていた。
「お出かけしたいところとかないの?」と聞いても、「特にない」と言っていた。
僕は楽しんではいないのかと思って、悲しくなったことがある。
北海道に来てからも、みかんを送ってくれたりしたから、蟹を送ったのだけれども、祖母は、食べ方がわからないし、量も多いからと言って、みんなに分けていたらしい。
僕が北海道に来る時には、落胆をしていたらしい。
どうやら、僕に期待をしてくれていたようで、仕事を引き継いでくれると思っていたらしい。
祖母は祖父とともに仕事と家庭を支えてきた人。
今年になってから、体調が思わしくないことは聞いていた。
夏に母と叔母、いとこが北海道に来た時に、認知症がだいぶ進んでいるから、早めに会いにきてほしいと言われた。
今年は、みかんの出来が良くないそうなので、もしかしたら、という予感があった。
集合意識でも読み取っていたのだろうか。
3日の夕方、頭の右側に痛みを感じたあと、祖母のことが頭によぎった。
それから程なくして、家族から知らせが入り、急遽、4日に帰ることとなった。
会えたのはお宇宙に帰還した後だったけど、
最期に会いにきてくれたことを感じていた。
よく働いた祖母の表情は、安らいでいるように見えた。
叔母の家にいることで、とても安心しているように感じた。
最期は叔母の家に来てから、一晩を過ごして、母と2人の叔母から、僕が会いに来ることを伝えて、楽しい会話をしている時に、お宇宙に帰還したようだ。
お世話になったこと、そして「ありがとう」と感謝の想いを会って伝えたかった。
それと共に、昔の記憶が蘇ってきた。
僕が離婚して、気落ちしている時には一番心配してくれた。
よく、仕事で残業しているときには、体のことを気遣ってくれて、早く帰って休むように言ってくれた。
よく、鯵の刺身とか、カンパチのお刺身とかをくれた。
よく、大判焼きをくれた。
よく、祖母の田舎から野菜が届いた時に、食べ切れないからと、分けてくれた。
よく、あの子は舌足らずだからと、フォローしてくれた。
よく、頂き物があった時に分けてくれた。
「うちなんか良いから、持っていきなー」が口グセだった。
お客様との付き合いもあり、買ってくれたことだけど、当時の僕はあまりよくは思ってはいなかった。
自分のことは、自分でまかなうと思っていたし、祖母好きなことにお金をかけてほしいと思っていた。
今になって振り返ると、感謝が足りてなかった。
そういった思いが湧き上がってきたが、不思議と涙は出てこなかった。
上弦の月を見ながら、近くに祖母を感じていた。
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